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リベリア 内戦 映画

(C) ニコニコフィルム 「移民」や「労働」というテーマを考察することと矛盾するようですが、本作はまさしく、ただ映像を観るだけでもまったく飽きない時間が流れています。 暗闇とカンテラ、黒い手と白い樹液、褐色の大地と真っ白な太陽。 そのコントラストが残像として目に焼きつき、「知る」ことを映像美のほうから支えています。忘れようのない美しい映像体験です。 それが映えるよう、「無為な時間」をつくるという演出もまた巧みです。 シスコたち労働者は、労働環境を改善するため、また父母からつづく悪循環を断ち切るため、ついにストライキを決行します。 でもその闘争的な響きとは裏腹に、つぎの日から亭主たちはだらだらと過ごすことしかできません。 家にいると妻に叱られるというわけで、みなでサッカーや釣りに興じます。 ここがまた画になっていて、たとえば北野武監督の『ソナチネ』(1993)が、ヤクザたちの戦争を引き延ばして沖縄の白い浜辺で遊ばせていたような「美」が立ちあらわれます。 すなわち、行動に移る前の時間をのばし、無目的化した空間のなかで、純粋に光学的な画を体感させる演出、といってもいいでしょう。 作中の世界は赤いバケツ、緑の森林、黄色いタクシーとさまざまに彩られていますが、白と黒が基調になっているためどのショットも引き締まった表情をみせ、光と影で勝負する良質なモノクロ映画をみたような余韻に浸れること請け合いです。 しかしながら、村上涼さんは撮影中にマラリアに感染し、志半ばで帰らぬ人となってしまいました。. 先月のリベリア滞在中に、思いがけなかった嬉しい再会がひとつあった。 年の内戦時、モンロビアの病院でたまたま撮影したジョセフにまた会うことができたのだ。 当時、彼は砲弾の破片で負傷し、病院で右腕の切断手術を受けたばかりだった。 リベリア内戦を終わらせた女たち リベリア 内戦 映画 「祈りよ力に」 内戦を終わらせた女たち リベリア、リーマ. Army リベリアはもともと、世界でも珍しいアメリカの植民地だった。アメリカで奴隷という身分から解放された黒人により入植されたのだが、彼らは自分たちの経験に習って現地の黒人を奴隷にした。信じられない話だがこれが真実。本来人間はモラルなんて持っていないのだ。 国として独立したのは1847年のことだが、そこから終わりのない内戦の時代に突入する。1989年に起きた第一次内戦は差別と貧困を背景に、反政府組織のクーデターはすさまじかった。この頃から国内にはコカイインやヘロインが蔓延し始める。 紛争状態で目の前に死体がゴロゴロ転がり、自分もいつ死ぬかわからない状況で、麻薬に溺れた人間は食人鬼と化した。これは噂や都市伝説なんかじゃない。実際の映像や証言として残っている事実だ。 あるものは戦いの前の儀式として幼い子供を殺し、その血液を飲んで心臓を食べた。またあるものは飢えをしのぐために、路上の死体を調理して食べたという。これがたった30年前のこと。 さらに衝撃的なのが、食人行為が今も貧しい地域では続いているということ。舞台となるのが最貧スラムのウエストポイントだ。. リベリアでは1989年から年にかけて断続的に2度の内戦が勃発し、人口400万のうち15万人以上の死者をだす惨禍に見舞われました。 光が強いほど影もまた濃くなる。美しいカメラワークのなかには、隣接する死の予感であったり、暴力の気配だったりがじつは匂い立っています。 それはストライキに失敗したシスコがニューヨークに渡ってから顕著になり、彼はタクシー運転手として働く日々のなかで、かつての「戦友=忘却した過去」と再会します。 「抑圧されたものの回帰」とは精神分析の用語ですが、シスコが同僚に「亡霊がいるんだ」と語る場面がなにより象徴的です。 亡霊はすでに死んでいるため、殺すことができません。意識ではどうすることもできず、何度も何度も返ってきてしまう存在。俗にトラウマといいますね。 戦友のジェイコブ(デイヴィッド・ロバーツ)は、シスコが内戦時におこなったこと、生きたまま皮を剥ぎ、ワインみたいに血を飲んだことを言って聞かせます。 そこに、ガソリンスタンドで洗車するショットが重なります。拭っても拭っても、赤い泡はフロントガラスを行ったり来たりするだけで消し去ることはできません。 リベリアの“白い血”の大地には、“赤い血”が流れていました。. リベリア - Wikipedi.

年 – リベリア内戦; 年~年 – イラク戦争. リベリア内戦について リベリア内戦の原因について教えてください そもそもリベリアはアメリカに奴隷として連れて行かれた人々が解放され、そしてその人たちが帰国して建国された国でした。ですが元奴隷の人々は全人口の3%程度にすぎず、そんな人達が国を支配し、先住民族の人々を迫害. リベリアでは、1989年12月から2003年8月までの約14年間に、2度の内戦が勃発した。人口の約8%が殺され、約40%が難民化したといわれている。 1847年の建国時から、アメリコ・ライベリアンと呼ばれる解放奴隷たちが権力を握っていた。アメリコ・ライベリアンたちは人口の5%にも満たなかったが、建国後しばらくは彼らの統治が続いていた。 しかし1980年、この地域に以前から存在する民族の一つである、クラン族出身のサミュエル・ドゥ軍曹がクーデターを起こし政権を手にすると、クラン族のメンバーを中心にして政治は塗りかえられていった。 すると今度は1989年、アメリコ・ライベリアンを父に持つ、チャールズ・テーラーが「リベリア国民愛国戦線」を組織し武装蜂起を行うと、これがきっかけとなり第一次内戦が勃発した。 第一次内戦の主な武装集団は7つにもなり、それらが入り乱れて複雑を極めた。リベリア国軍の幹部が権力を掌握し、リベリアの治安が崩壊すると、事態は悪化の一途を辿った。1990年、リベリア国民愛国戦線が首都モンロビアを除く全土を占領したときには、すでに国内に秩序は存在していなかった。 1990年8月、これを受けナイジェリア主導の下、「西アフリカ経済共同体」がリベリア内戦に介入することとなった。そして西アフリカ経済共同体は「停戦監視団」を派遣した。同年9月には西アフリカ経済共同体が仲介する形で、国内16民族からなる「国民統一暫定政府」が設置された。しかしチャールズ・テーラー率いるリベリア国民愛国戦線は、この協議への参加を拒否した。 中立的な立場で関与すべき西アフリカ経済共同体も、しだいに紛争に巻き込まれていき、リベリア国民愛国戦線との間で紛争に発展していくと、事態はさらに複雑な様相を呈していった。和平協定は何度も結ばれたが、紛争当事者により協定は無視され、武装集団による戦闘は繰り返された。そして武装集団の内部分裂や、政治的駆け引きなどから、和平は一向に進まなかった。 戦闘が繰り返されるにつれて、武装集団は次第に淘汰されていった。そして1996年、14回目の和平協定である「アブジャⅡ協定合意」が締結されると、しばらく情勢は安定した。同年7月には「国連リベリア監視ミッション」の支援により国政選挙が実施され、「国民愛国党」党首として、チャールズ・テーラーが大統領に就任した。この時の選. リベリアの白い血()の映画情報。評価レビュー 34件、映画館、動画予告編、ネタバレ感想、出演:ビショップ・ブレイ 他。リベリアのゴム農園で過酷な労働を強いられていた男が単身アメリカに渡り、葛藤する姿を描く人間ドラマ。ニューヨークを拠点に活動する福永壮志監督の長編. . 『リベリアの白い血』パンフレット 本作は各国の国際映画祭でも非常に高い評価を受けています。. See full list on slumguy.

リベリア内戦(リベリアないせん、英: Liberian Civil War )は、西アフリカに位置するリベリア共和国における内戦である。 1989年から1996年の第一次リベリア内戦 (First Liberian Civil War) と、更に1999年から年の第二次リベリア内戦 (Second Liberian Civil War) の2度、内戦が起きている。. リベリアを描いた映画 リベリアを舞台にした作品としては「リベリアの白い血」が有名だ。日本人監督により制作されたこの映画は、リベリアの悲惨な内戦と貧困の現状、そしてそこから逃れた移民たちの苦悩が生々しく描かれている. リベリアを舞台にした作品としては「リベリアの白い血」が有名だ。日本人監督により制作されたこの映画は、リベリアの悲惨な内戦と貧困の現状、そしてそこから逃れた移民たちの苦悩が生々しく描かれている。 冒頭で紹介したVICEのドキュメンタリーも秀逸。ユーチューブに上がっているので気軽に見られるが、ご視聴の際は心の準備をきちんと行ってほしい。トラウマレベルの映像が続出する問題作だ。. リベリア内戦 年01月07日 23時57分50秒 | 映画 「 ジョニー・マッド・ドッグ 」(原題:JOHNNY MAD DOG)/フランス・ベルギー・リベリア DVD ☆☆☆. 年にアメリカ・リベリア合作で制作された映画で、監督はニューヨークで活動中の日本人です。 映画は、一人のリベリア人労働者を通して、我々が何も知らないリベリア人の生活が、我々の日常生活にいかに関わっているかを描きます。. この内戦では、12万人が殺害され、さらに7000人が手足を切断された。1989年に勃発したリベリア内戦もあわせると、死者は40万人にものぼるとさ.

ALL RIGHTS RESERVED. (C) ニコニコフィルム 映画にはときとして、「制作環境」と「作品内容」がリンクすることがあります。 本作で主演を務めたシスコ役のビショップ・ブレイは、実際にゴム農園でラテックス採取をしていた経験があり、内戦で逃れたガーナの難民キャンプで演技に目覚めたといいます。 またアメリカ編の撮影後は、アメリカに移住して俳優活動のさらなる夢に挑戦しているそうです。 まるで、自分が演じたシスコの背中を追うかのように。 リベリア 内戦 映画 そしてカメラマンの村上涼さんの死は、自身で撮影した画の真実性を図らずもなぞっています。. リベリアで独裁政治を展開していたサミュエル・ドウ大統領を倒すため、カダフィの元で革命の戦いの軍事訓練を教わっていたのである。そして1989年 12月テーラー率いるリベリア国民愛国戦線(npfl)はリベリアに侵入し武装蜂起した(リベリア内戦)。. See リベリア 内戦 映画 full list on cinemarche. その言葉のとおり、映画にはリベリアの美しい風景やセリフの随所に「あーそうそう、これリベリアっぽいな」と思わずニヤリとしてしまう「リアルなリベリア」がちりばめられていて、内戦やエボラ、貧困というステレオタイプで「可哀想な」リベリアで.

リベリア内戦 (リベリアないせん、英: Liberian Civil War )は、リベリア共和国における内戦である。 西アフリカに位置するリベリアでは、1989年から1996年の第一次内戦( First Liberian Civil War )と、更に1999年から年の第二次内戦( Second Liberian Civil War )の2度、内戦が起きている。. リベリア内戦 (リベリアないせん、英: Liberian Civil War )は、リベリア共和国における内戦である。 西アフリカに位置するリベリアでは、1989年から1996年の第一次内戦 (First Liberian Civil War) と、更に1999年から年の第二次内戦 (Second Liberian Civil War) の2度、内戦が起きている。. 「やつらは人々を並ばせて、20人くらい、そして順番に殺していった。銃を持たない人々を、簡単に殺していった。俺も両親も友達も震えていた。俺達は地下に3日間も隠れていた。食べ物も水もなかった。怖かった、本当に。やつらは頭や指や胃、そして心臓までも切り取り解体していった。妊婦の腹を切り開き、その赤ん坊をやつらは食べた。無敵になると信じていたんだ、人を食べれば。俺はローストされた赤ん坊を食べてるところをこの目で見た。「100米)ドルだ」そう言って頭や指や胃をむりやり金を払わせ人々に買わせていたんだ」(町で出会った一般市民からの証言より) 私はガーナから飛行機でナイジェリアのラゴスを経由し、リベリアのモンロビア・ロバーツ国際空港に到着していた。それは国際空港と言われなければ分からないほど殺風景なところで、お世辞にも近代的な空港とは言えなかった。入国審査は歯科検診のように簡単に終えられ、税関も空気のように通過することができた。空港から外に出ると、リベリアの国旗が大きく風になびいて揺れていた。 リベリアの国旗はアメリカのそれに瓜二つだった。私はこの珍しい国旗を空港で写真に収めたい、という欲求を抑えることができなくなってしまった。このような辺鄙な国は二度と訪れることもないだろうし、あのとき写真に収めておけばよかった、などとあれこれ後悔するのも嫌だった。構うものかと鞄からカメラを取り出した。 持っていたカメラは一眼レフだったが、その無駄に大きなそれは、重いという欠点に加え、このアフリカでは非常に目立つという最悪の弱点も併せ持っていた。そのため、私はこのカメラを取り出すたびに自分の想像力の無さを悔やんだ。鞄からカメラを取り出してすぐに空港に掲げてある国旗の写真を撮り、そしてすばやくそれを鞄に戻した。自分ではこれ以上ないほど無駄のない動きであったと思っていたが、どうやら傍から見れば面妖な旅行者として完全に目立っていたようだった。カメラを鞄に戻したその瞬間、大きな声がどこからか飛んできた。私は駆けつけた警官に取り押さえられ、首根っこを掴まれた猫のような気持ちで事務所に連れて行かれた。そして一枚一枚写真を確認されながら写真の消去を強制されたのだった。 空港から首都であるモンロビアの中心部まではタクシーで1時間半ほどかかるようだった。空港のそばにあったレストランにいた女が教えてくれた。し. リベリア内戦の少年兵がモデルの映画。 という必要最低限の予備知識が無いと『これは何処の国で、何でこうなった?』となります。 映画の始まり方も終わり方も中途半端。 モヤモヤ~ッと始まってダラダラ~ッと終わります。. 遠いアフリカの地、リベリア。 内戦の傷痕が色濃くまだ残っていた。 ゴム農園で働く主人公(シスコ)、仲間たちと変わらぬ毎日を続けていた。 その状況を少しでも変えたい、 仲間たちと必死に抗おうとしたが. 1,300本以上の映画を観て決めたおすすめ映画ランキング! 『内戦.

(C) ニコニコフィルム 本作のプロデューサーで福永監督のクリエイティブパートナーのドナリ・ブラクストンは、パンフレットに回想録を寄せています。 国際合作では、描かれるドラマ以前に“文化の衝突=異文化理解”というもうひとつのドラマが往々にして進行しています。 ここでは、「時間」や「連絡」や「季節」などの“理解”が進んだようです。 雨季にあたってしまったんですね。 そういった苦労を分ちあいながら、おなじ目標にむかって映画を制作していく過程は、いちばんの国際協力および平和活動といえるのではないでしょうか。 リベリア 内戦 映画 このことはどの国にかぎらず、人間が人間と接するうえで必要な態度に見受けられます。逆に内戦は対話の欠如の極北にあるものでしょう。 映画は映像表現ですが、それを支えているのはまず「言葉」であると。 つまり映画をつくることには不断の対話の努力が要され、それが日常にも還元されれば、争いがなくなることに望みをかけてもいいのではないか。 リベリア映画組合が初めて共同制作した本作は、闇夜を照らすひとつのカンテラの役割を果たしたとみました。 【連載コラム】『映画道シカミミ見聞録』記事一覧はこちら. リベリア共和国初の政府公認の映画組合と共に制作され、第65回ベルリン国際映画祭パノラマ部門に正式出品された人間ドラマ。 内戦の傷跡が残るリベリアのゴム農園で働く主人公が、自由を求めて単身ニューヨークへ渡るも、厳しい現実に直面していく. リベリア内戦の1990年以降、ナイジェリアとガーナ主導の西アフリカ諸国平和維持軍 (ecomog) がリベリアに到着する以前は、アメリカの影響力や関係が最も強かった。内戦勃発後、アメリカの軍事介入を求める声が強くあったが、アメリカは対リベリアの優先. アフリカ西部の国、リベリア。1989年から14年続いた泥沼の内戦に終止符を打ったのは女性たちの祈りだった。 記事詳細 http. この映画の脚本を書くためにいろいろ調べていくうちに、近年のリベリアの歴史の中で内戦はものすごく大きな出来事で、現代のリベリアを描くのに自然に触れることになりました。 *注:リベリアの内戦 :第一次内戦1989年~1996年、第二次内戦1999年~年. by UNMEER ウエストポイントはこの世の地獄だ。海岸沿いの狭い範囲にバラックが密集し、人々はゴミにまみれて生活している。上下水道すら存在しないこの地域では、排便にビーチを使う。そのため砂浜は常に人々の糞尿で埋め尽くされている。 その衛生環境の悪さと人口密集のせいで、年のエボラ出血熱はこの場所で大流行した。病気の知識もない彼らは援助で訪れた医師団などを攻撃し、リンチ殺人に発展する悲惨な事件も起きた。 街を歩けば麻薬中毒者の多さに驚くだろう。まだ幼い10代の少年もすでに立派なコカイン中毒者。その目はどこを見ているのかもわからず、話など当然通じない。彼らは殺人も強盗もレイプも抵抗なく犯すし、それを取り締まる警察なんてこのエリアには来ない。 女性の人権なんて皆無に等しく、人口の7割以上がレイプの被害に合っている。売春宿では若い女性が1回1ドル以下で体を売り、しばしば食人鬼に殺されて食べられる。これが今リベリアで起きている事実だ。 この場所では海外からの援助も効力を持たない。ある団体が少女たちのために学校を建設したところ、その場所を任された権力者が少女たち全員をレイプした。職員はレイプの事実を知りながら、報復が怖くて報告すらできなかった。 かつて最大の経済援助国だったアメリカも、今では見切りをつけてリベリアを見放した。未だに基本的なインフラすら整わないこの国の、さらに最底辺のウエストポイントに未来は来るのだろうか。.

共に制作された初めての映画。 後半には移民の街・nyに舞台を移し、アメリカで生きるアフリ. 本作はニューヨークを拠点にする福永壮志監督が、リベリア映画組合の協力のもと、同国とNYで撮影した初長編映画です。 リベリアとアメリカが舞台と聞いて、意外に思われる方もいるかもしれません。 監督の義弟で、撮影監督を務めた村上涼カメラマンが、もともとリベリアでドキュメンタリーを撮っていたという影響はもちろんありますが、それに加えて両国の歴史的な関係が大きな意味を持っています。 リベリアは、アメリカの解放奴隷が祖国に帰還し、1847年に建国した国です。それは国旗のデザインがアメリカの星条旗を模していることからも読みとれます。 ニューヨークにも、リベリア人コミュニティーの“リトル・リベリア”が築かれていて、本作の主人公であるシスコ(ビショップ・ブレイ)はそのつながりを頼りに、移民労働者としての道を歩むことになります。. See full list on mapp. 映画『リベリアの白い血』より 西アフリカに位置する小国リベリアは、アメリカで解放された黒人奴隷たちが移住し、1847年に建国された。1989年から14年間、2度にわたって先住部族や反政府組織らと政府軍の間.

トゥブメンバーグの町で、外資系ガソリンスタンドの中にある売店でジュースを買って飲んでいたら、ガソリンスタンドの青年と仲良くなった。彼の名はフォダイといい、父親はリベリアでジャーナリストをしているということだった。そして彼もジャーナリズムを学んでいると言った。歳は20代半ばといったところで、背が高く痩せた青年だった。学費を稼ぐためにガソリンスタンドでアルバイトをしているということだった。彼はジャーナリストを目指しているということもあり、内戦について嫌がることなく話をしてくれた。そして次のフォダイの口から出た言葉に、私は驚愕させられた。 「戦闘員だった人間のほとんどは罰を与えられなかった。彼らは恩赦をうけ職業訓練をほどこされ社会に戻っていく。こんなこと考えられるかい」 考えてもみなかった。内戦が終わり今は平和なのだという考えでしかなく、戦闘員がその後どうしているかなど、それを聞くまで考えてもみなかった。人を殺せば法律により裁かれ、罰が与えられるのは当然であると、ただ単純にそう考えていた。しかしそうではないのだ。裁判は金と時間がかかるので、何万人もの元戦闘員を一人ひとり法で裁くことなど出来ないのだという。罰を与えられることなく日常生活を送っている連中がほとんどなのだ。刑務所で服役して罪を償い更生したわけではなく、「そのまま」日常に復帰している。そんな連中が、人を殺した人間が、人の心臓を食べた人間が、人をレイプした人間が、働いていたり、学校に行っていたり、涼しい顔をして生活しているのが現状なのだ。 内戦終結後には、DDRRと呼ばれる平和構築の手続きが実行された。DDRRとは、「Disarmament(武装解除)」、「Demobilization(動員解除)」、「Rehabilitation(社会復帰)」、「Reintegration(再統合)」の頭文字で作られた名称だ。つまり、武器を捨てさせ、武装集団を解体し、社会復帰のサポートを実施し、社会に再統合させる、ということだ。 「たしかに元戦闘員は被害者であるとも言えるかもしれない。でもやつらに罪を与えることなくサポートするなんて僕は納得がいかない」 フォダイは少し強い口調になり続けてそう言ったのだった。リベリアにはキリスト教徒が多く存在する。そのため教会には沢山の人が祈りに訪れる。そしてそこには被害者もいれば加害者もいる. (C)1976, renewed, COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. 「全ての持ち物を持っていかれた。断ったら殺される。名前はなんだと聞かれ名前が気に入らなければ殺される。気分次第で殺される。ポリスもない。法律もない。反乱軍が法律だった。森や家に隠れた。RPG(ロシア製グレネードランチャー)で家は焼かれた。やつらが来たときはすぐに物を渡して殺されないように懇願した。やつらは人々に銃を持たせ殺させあったり、レイプなどをさせたり、残酷な行為をするよう命令してきた。道を封鎖されて物資が入ってこなくなり、沢山の人が飢えて死んだんだ」 (町で出会った一般市民からの証言より) 「俺は当時15歳でやつらは俺に兵になるように言ってきた。断ることなんかできなかった。断っていたら俺は今ここにいないだろう。3年間もの間ゲリラになることを強制されていた。銃だってもちろん撃った。カラシニコフの扱い方なんか叩き込まれた。3年間もの間外でずっと見張りをしていた。ゆっくり寝る時間なんか本当になかった。いつ敵がくるかもわからない状況でどうやったら寝れるっていうんだ?」 (町で出会った元少年兵からの証言より) リベリア 内戦 映画 モンロビアを出た私はトゥブメンバーグという町に来ていた。シエラレオネとの国境に近い小さな町だ。この町には穏やかで優しい人が多く、モンロビアのような殺伐とした雰囲気も無く過ごしやすかった。泊まっていた宿の近くの裁縫屋に、破けたズボンを直しにいったことがあった。歩いていたらミシンで作業をしているのが見えたので、ズボンの修理をお願いしたのだ。それがきっかけになり度々その家にお邪魔し話をさせてもらったりしていた。 彼らはサッカーが大好きだった。調度そのころUEFAチャンピオンズリーグが開催していて、一緒に観戦しに行く機会があった。リベリアでは映画館のようなところで、皆サッカー観戦をする。キックオフの少し前に到着したにも関わらず、すでにその施設は町の人たちで埋め尽くされていた。そこには巨大なスクリーンが設けられていて、椅子も並べられていた。このときはチェルシー対バルセロナの試合が行われていた。室内はサウナにでも入っているかのように蒸し暑かった。そしてその理由がわかるのに時間は掛からなかった。 人々の半分以上は上半身裸になり、試合開始前から物凄いエネルギーを発散させていた。そして試合が始まると選手のワンプレーごとに狂喜乱舞し、全身で興奮を解放していた。もはや椅子に座って. (C) ニコニコフィルム 自分の国をでても、自分の過去はついてくる。そのうえでする労働は、仕事は異なっても本質はおなじである。 シスコを通してみてきた移民の姿は、「出稼ぎでより豊かな経済的恩恵を得ている」という通俗的な印象を覆すに十分です。 解放された奴隷が建国したリベリアは、「Liber(自由)な国」だったはずです。 しかし実際に起こったことは、アメリカからの入植者による先住民の迫害でした。 この再植民者に流れる“白い血”というものが、邦題の2つ目の意味となります。 アメリカで自分たちが被ってきた暴力を、自由になった土地で繰り返す悲劇。憎しみの応酬、暴力の連鎖を断ち切るためになにができるのか。 内戦後、リベリア政府がリベリア映画組合を設立したことが、ひとつのヒントになるのではと考えられます。. リベリアの白い血 ジャンル 平和 人権 リベリア 内戦 映画 その他 時間 88分 製作年 監督 福永荘志 本作は内戦の傷痕が色濃く残るリベリアで、政府公認の映画組合と共に制作された初めての映画である。. ジョニー・マッド・ドッグの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。相次ぐ内戦で混乱を極めるアフリカ・リベリア共和国. リベリアの白い血の作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。ニューヨークを拠点に活動し、本作が長編デビュー作となる福永. リベリアでは、 1980年代から年代に2回の内戦が起きており、劇中でもその影響が垣間見えます。 内戦後リベリア政府はリベリア映画組合を設立、本作は同組合にとって初めての共同制作作品です。.

リベリアで撮影された長編映画としては2作目、政府公認の映画組合とともに制作された史上初の作品でもある。 なぜ日本人が「リベリア移民. .